PAST(過去・これまで)
少年時代
── 音楽と向き合うようになった一番の原点は何だったのでしょうか?
榎本響:父も母もすごく音楽を聴くのが好きで、父の影響で幼い頃から古今東西いろんな音楽に触れていたのが原点としてあります。また、私が生まれた頃に偶然父が友人から Yamaha PSS-270 を譲り受けていて、2、3歳の頃からひたすらそれで遊んでいました。クラシックのピアニストの家系というわけではなかったのですが、小さな頃から「ピアノを弾く」というアウトプットの環境があったのは大きかったですね。
── そこからジャズ・ジャズピアノにはどのように出会ったのでしょうか?
榎本響:中学で吹奏楽部に入ったのですが、グレン・ミラーなどを演奏するジャズビッグバンドのような部活でした。そこで『Sing, Sing, Sing』のドラムソロに撃ち抜かれ、最初は3年間ずっと打楽器を担当していました。 ジャズピアノの入り口は、同じ部活でクラリネットを吹いていた幼馴染の存在です。彼の家に遊びに行ってはジャズのレコードを聴き、ピアノとクラリネットでセッションをしていました。そして同じ頃、YouTubeで上原ひろみさんの『Move』のライブ映像を観たんです。これだけいろんな人を熱狂させてすごいエネルギーを生むことができる人がいるんだと衝撃を受けたと同時に、「ジャズピアノを生業として生きていく」という選択肢があることに驚き、そこからジャズピアノを志しました。
学生時代
── 洗足学園音楽大学に入学されてからの活動について教えてください。
榎本響:まず音大に入学すると話した時、両親には猛反対されました。音大に入ることそのものより「音大を出た後の生活を想定しているか」を指摘されましたし、それは入学した後もずっと意識していました。学費が高い音大に入るからには、いち早くキャリアを積んでその投資以上のリターンをしなければなりません。学内に篭っていると埋もれてしまうので、学外にどんどん出会いを求めていきました。
── 学生時代に学外で行った活動は今の活動に繋がっていますか?
榎本響:はい。池袋にある「Somethin' Jazz Club」に高3の終わり頃から定期的にジャムセッションのホストとして入るようになり、そこで出会ったミュージシャンとは今でも仕事をしています。 また、国立音大の同世代のミュージシャンとライブをやったり、インカレサークルにセッションをしに行ったりしていた時には、ジャズミュージシャンだけでなく様々な音楽をやっている人たちと出会うことができました。上手い人たちは学校というコミュニティに関係なくどんどん集まってくるので、学外の同世代のつながりは今でも色々なところに活きています。大学3年の時には慶應義塾大学の「ライトミュージックソサイエティ」に参加しました。音大などのプレイヤーの界隈にいると「音楽で生計を立てる」ということに捉われがちですが、そこには社会人になっても趣味で音楽と素晴らしい距離感を保って生きていく人たちもいて。自分と音楽との距離について考える大きな経験になりました。
── 在学中の2023年5月に初のソロ音源を配信リリースされました。そのきっかけを教えてください。
榎本響:20歳という節目を迎え、自分の名義で世の中に一つ作品を残したい、自分の今をアーカイブしたいという気持ちが強くありました。 バンド名義にすると後々制限がかかってしまうのが嫌だったのと、リリース毎に名義が分かれるのもあまり好きではなくて。ソロ、デュオ、トリオ、カルテット、ビッグバンドと、いろんな形態で柔軟に配信していけたらいいなと思い、特定のバンド名ではなく、あえて「榎本響」という個人名義で活動を始めて、個人単位で制約のない自由な表現とコラボレーションを続ける準備をしていました。
NOW(現在)
── 現在の活動は、どのようなバランスの中で行っていますか?
榎本響:現在は、自身のソロプロジェクトとしての活動と、サポートミュージシャンとしての活動の2つに大きく分けて活動しています。
── ソロ活動とサポート活動は、どのような割合やスケジュールで活動していますか?
榎本響:割合で言うと、今はサポートの活動の方が多く動いていますね。シンガーソングライターの映秀。君などのポップスの現場でキーボードを弾くことや、ジャズピアニストとして呼ばれて参加することが現在の活動のメイン領域になっています。
── サポート活動がメインとのことですが、ご自身のアーティスト(ソロ)活動とはどのようにバランスを取っているイメージですか?
榎本響:ソロ活動に関しては、自分が形にしたい音楽を自分のタイミングで残せるように行っています。宮川純さんや渡辺翔太さんのような近現代のジャズミュージシャンの方々が、キリンジや新しい学校のリーダーズなどのサポートをやりつつ、ご自身の音源もリリースするというバランスで活動されていて、自分もそういう彼らの活動の仕方をロールモデルにしながら、2つの活動を並行していけたらなと思っています。
PEOPLE(誰と)
窪田 大志(Dr.)
榎本響:私が通っていた洗足学園音楽大学の1つ下の後輩です。大学入学時から、「鳴り物入り」のような感じで、一緒に演奏してみたらめちゃくちゃうまいし、スイングをさせてもビートを叩かせても非の打ち所がない完璧なドラマーです。私自身も元々ドラムをやっていたのでドラムにはこだわりがあるのですが、彼のドラムはストレートアヘッドなスイングから現代のジャズドラムまでしっかり適応していて、自分の作る音楽をバンド化したときにピタッとハマると思いオファーしました。
Tribe Sampler Collective - Nujabes Tribute Set -, SOIL&"PIMP”SESSIONS等での演奏も行うドラマー。
ストレートアヘッドなジャズから現代的なビートまで幅広く適応するプレイスタイルで多方面で活躍している。
木村 優太(Ba.)
榎本響:大学時代からジャズの現場で一緒にベースを弾いてもらっていました。彼のベースには特有の「図太さ」があり、彼がボトムにいてくれたら絶対に大丈夫だという安定感と、長年の演奏経験から生まれた信頼関係があります。私の楽曲はリズム隊へのアプローチが少し難しいらしいのですが、彼は古いスタイルの一辺倒にならず、様々なアプローチを考えてくれる対応力の高さも持っています。
バンド カラコルムの山々のベーシスト。
サポートミュージシャンとしては、ジャズの現場を中心に活動している。
ほんま ひかる(Sax.)
榎本響:学生ビッグバンドの繋がりで出会い、自身のカルテット Hibiki Jazz Quartet でも一緒に活動してきました。ジャズがしっかりできる上に、グイッと前に出られるエネルギッシュでキャッチーなプレイが魅力です。また、私の作る曲を深く理解しようとしてくれたり、バンドのサウンドディレクションで悩んだときに的確なアドバイスをくれたりと、チームメンバーとして非常に信頼しているので今回のレコーディングでもお願いしました。
Hibiki Jazz Quartetでの京都公演から1年経ち、友人で作編曲家の川端結によるアレンジでこの曲を再演。
— 榎本響 | Hibiki Enomoto (@hibiki__pf) March 12, 2026
同じ場所に同じ曲で戻ってこられたことが幸せだったし、予想だにしない出来事でもありました。
4th single "The Road Not Taken"
ここから聴けます↓https://t.co/ZjFwr19waZ https://t.co/RZbQDZfUz9
一般大学から音大へ編入後、学生ビッグバンドを経て活動するサックス奏者。
SBS XXL EDITION, U-Knot 等ホーンセクションとしての演奏も多く行っている。
富 正和(Engineer)
榎本響:私の大学には音響工学芸術論という授業があり、その講師をされています。スタジオの外にマイクを持ち出してフィールドレコーディングをしたり、身近な素材で焚き火の音を再現したり、管理クリエイティブな授業でした。"Rope"をレコーディングしたときも、「このRopeってどういうものなの?」 と一番最初に曲想について訊いて下さって、単に良い音で録ることを超えたエンジニアとしての姿勢に感銘を受けました。
学内のレコーディングの実習や、所属していた慶應義塾大学のライトミュージックソサイエティのコンサートでもPAとしてお世話になりました。私のシングル"Rope", "日曜日", "The Road Not Taken" でもミックス・マスタリングまで全て行なっていただいています。
2003年NHK退職後独立、フリーランスとなりM-AQUAを設立。 2012年より洗足音楽大学ジャズコースエンジニア業務を担当。
※ 洗足学園音楽大学HP内 "教員・指導陣紹介 Faculty Member"より参照。
PLACE(どこで)
洗足学園音楽大学
榎本響:4年間通っていた大学です。練習室はピアニストにとって一番通う場所と言っても過言ではないので、素敵な練習環境を提供してくれたという意味でも感謝している場所です。また、2nd〜4thシングルは大学の地下1階にある素晴らしいスタジオで録音しています。卒業研究で最優秀賞を獲得した特権として、このスタジオを使ってエンジニアの富さんに録音していただきました。
池袋 Somethin' Jazz Club
榎本響:コミュニティとして自分の中でかなり大きかったのが、池袋にある「Somethin' Jazz Club」です。高校3年生の終わり頃から定期的にジャムセッションのホストとして入るようになりました。ここで出会ったミュージシャンとは今でも一緒に仕事をすることが多く、例えば映秀。君の現場などでも、サポートメンバーは全員ここでジャムをやっていた人たちでした。自分にとって重要な繋がりが生まれた場所ですね。
出身高校の坂道
榎本響:私が通っていた高校は長い坂の上にあって、部活帰りにそこから見る夕日がすごく綺麗だったんです。夕日とともに5時のチャイムが鳴り、周辺の住宅街からあわただしい夕食の準備の音や子供たちの声が聞こえ、ご飯の匂いが漂ってくる。「日没」にまつわる様々な出来事が起こるこの場所の景色や音、匂いをひっくるめて、作品『夕暮れ』のタイトルとモチーフにしました。
REFERENCE(影響を受けたもの)
── 楽曲制作において、特に影響を受けているものや、リファレンスにしているものはありますか?
榎本響:自分の中で「情景が見えること」と「キャッチーであること」の2つが大きな軸になっています。坂本龍一さんやジブリ音楽、スピッツ、上原ひろみさん、ティグラン・ハマシアンなど、色々なベクトルのキャッチーさやポップさを自分の中にリファレンスとして持っていますね。
── 具体的には、それらのインスピレーションをどのように形にしていったのでしょうか。
榎本響:自分は映像に対して音を当てている感覚が強いんです。それが音としてアウトプットされた時に、結果として情景が見えやすくなるのだと思います。上原ひろみさんやティグラン・ハマシアンさんの曲からは特にそういった感覚を感じますね。
── 実際に楽曲をつくる際に意識していることはありますか?
榎本響:例えば次作の『夕暮れ』は、元々歌の人とセッションするために、自分でメロディを歌いながら作った曲なんです。その際、ジャズのスタンダードナンバーを聴いて、メロディと歌詞の関連性がどうなっているのかを研究したりもしました。
RECOMMEND(同時代アーティストへの言及)
放浪
榎本響:ミュージシャン仲間の先輩や後輩がやっているバンドです。僕自身が最近アンビエント音楽に興味があることもあり、彼らの音楽を聴くと情景がすごく見えて素晴らしいなと感じます。曲を作る上での「視座」が、自分と似ているなという感覚がありました。
pppfuuii(星山 夢輝)
榎本響:同級生のドラマーで、トラックメイカーとしても活動しています。大学の卒業研究の際に、彼は色々な楽器の人の音を録音してトラックに繋ぎ合わせるという面白いことをしていて、気になっていました。界隈は違いますが、突出した面白さを持っているのでお勧めしたいです。彼がどのような哲学を持っているのか、僕自身も彼のインタビュー等を読んでみたいですね。
Sakepnk(Reo Anzai)
榎本響:以前、レーベル w.a.u. のインタビューで彼のインタビュー記事を読んだことがあるのですが、「レーベルを作ることで、コミュニティで生まれている音楽を一つの文化としてパッケージしてアーカイブしていく」とお話しされていて、その考え方に非常に感銘を受けました。勢いよく売れることよりも、数十年後に誰かが発見して「こういう素晴らしい文化があったんだ」と思ってくれることに意義があるという哲学は、僕自身のリリース活動にも大きな影響を与えています。
TOBE(未来・これから)
── 今後の活動やリリース計画をどのように描いていますか?
榎本響:初めての配信リリースはデュオでしたし、その後の3作品はカルテットで出しましたが、最新のリリースではトリオ編成でのリリースを配信しました。その後も、ゆくゆくはビッグバンドやラージアンサンブル編成で、あるいは完全にピアノソロで出してみたりと色んな構想があります。Tigran Hamasyanが特にそうであったように、自身の音楽的・文化的ルーツに着目した作品の構想もあって、今はその研究をしています。いずれにしても自分というアーティストが中心に据えられて、その脳内を具現化していくように作品を出していきたいですね。
── 榎本さんが作品を作り続けることは、未来にどう繋がっていくのでしょうか?
榎本響:私は音源の配信を、その時の自分や自分の周りにいた人たちを「アーカイブする」作業だと捉えています。だからこそ、今すぐ勢いよく売れることよりも、数十年後に誰かがたまたま発見してくれて、「こういう素晴らしい文化があったんだな」と思ってくれることの方に大きな意義を感じています。将来、新しくファンになってくれた人たちが過去の作品を掘り下げて、私という人間や私を取り巻いていた文化を深く理解してくれるためのものとして、これからも作品を残し続けていきたいです。
取材場所:洗足学園音楽大学
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